適応障害で休職→復職中。

適応障害で病気休職から復職中のアラサー男子が日々を綴ります

「適応障害」と診断されて1年が経過。

こんばんはーぶてぃー。

柚紗雪です。

 

今通っている病院の心療内科にて、

 

適応障害」です。

 

と診断されてから1年が経ちました。というお話。

 

本日の目次はコチラ↓

 

 

 

yuzu-sayuki.hatenablog.com

 

 

yuzu-sayuki.hatenablog.com

 

 

~壊れた日~

 

2019年5月14日の朝、私は壊れました。

 

前日にはほとんど壊れていたのですが…。

 

新しく異動した希望外の係。

 

たまたま、ヘビーなクレームを連発で喰らってしまった私。

 

5月の13日。

 

「とりあえず、今日頑張ろう」と自分に言い聞かせていた行きの電車。

そう言い聞かせながらも、もう一人の自分が問う。

 

「そのとりあえずがあと何日続くの?」

 

なんとかやりきった13日の夜。

 

まともに夕食も食べられず、酷い頭痛と気怠さを感じ、早めに床に就きます。

しかし、早めに床に就いてしまっては、明日が来てしまう。

 

そして、14日の朝。

 

起きても変わらない頭痛。

 

とりあえず、頭痛が酷いので仕事を休むことを家族に告げました。

 

そして、職場へ電話するのですが…

 

この時、私は自分のメンタルがもう限界であることを何となく分かっていました。

 

 

しかし、職場へ電話した際には、メンタルが辛いことは言えず、ただ頭痛が酷いので…ということしか言えませんでした。

 

その直後。電話を切った直後でした。

 

両の目から溢れ出す大量の涙。

止まらない涙。

 

いつしか、呼吸が辛くなり、過呼吸状態に

 

このままでは死ぬ、と本気で思いました。

 

なんとか自室から這い出てリビングへ這って行きました。

 

そこには祖母と母が。

 

「なんだこいつ」くらいに無視した祖母。

一方で、事の重大さを察知した母。

 

 

1時間くらい経って、なんとか落ち着きました。

 

その後、どの病院へ行くか。

詳細は省きますが、ここで心療内科ではなくかかりつけの内科に行くことにしました。

 

その内科の診察で、自分の状態を話すと、先生がとある大学病院の心療内科への推薦状を書いてくれました。

 

そして、翌日。

 

 

~名前が書けない~

 

それが、5月15日。

 

外の世界で鳴り響く色んな音に怯えていた当時の僕は、ゆっくりゆっくり自転車を漕いで病院へ。

 

初診察なので、総合受付で受付票に記入をするのですが、

 

 

自分の名前が書けませんでした。

 

自分の名前を忘れたということではなくて、自分の名前の漢字が思い出せなかったのです。

覚えている部分でさえ、書こうとすると震える手。

 

結局4~5回書き直したと思います。

 

そして、心療内科の診察で告げられたのは、

 

 

「あなたは、適応障害という病気です。これは、心の病気なので、薬などで治るものではなりません。原因となっているストレスから離れることが唯一の治療法です。」

 

ということ。

 

実は、この時少しホッとしたのをよく覚えています。

 

今の自分の状態に、確固たる病名がついたこと。

 

どういう病なのか、ちょっとでも分かったことで落ち着いたのでした。

 

とりあえず、1か月自宅療養の診断書が出されて、約8か月の休職生活が始まりました。

 

 

 

~記憶~

 

ここまで書いた、適応障害と診断される前後のことは結構覚えています。

 

しかし、診断されて休職に入ってから最初の2か月くらいの記憶がほとんどありません。

 

何となくの断片的な記憶はあるのですが、正直なにをどうして過ごしていたのかはよく覚えていません。

 

たまに、当時のブログや日記を自分で読み返して驚くくらいです(笑)

 

 

~8か月~

私が休職していた期間のことを超簡単に振り返ってみます。

 

ご参考になるかは分かりませんが(笑)

 

5月15日適応障害と診断される。

 

5月下旬:一時の解放感が凄く、超元気に過ごす。

 

※ある種の、躁状態だったのかもしれません。

 

6月初め:最初に出された診断書の休職期間である1か月の終わりが迫り、「このまま復帰になるのでは?」と思い、恐怖・不安に駆られる。

 

自宅にいる罪悪感が強い、毎日頭痛がする。

大きい音と人混みが怖い

 

こんな感じでした。

 

6月上旬:担当医との診察で、「年明け~年度末までの休職を視野に入れる」ように言われる。

抑うつ状態が強い」と診断され、抗うつ薬レクサプロが処方される。

→この診察で少し落ち着きました。腰を据えて休む覚悟も出来ましたし、「まだ到底無理だけど復帰させられるのかな?」と怯えることがなくなりました。

 

 

6月中旬:レクサプロ→リフレックスに薬が変わる。

・1か月半ぶりくらいに電車に乗る。超怖くて途中で降りたけれど、乗れたことが自信に。

1週間の内、元気な日が2~3日、感情が揺れ動く日が2~3日、1日中ぐったりな日が1~2日という感じ。

 

7月中旬:私の会社の都合上、病気休暇→休職へ変わるタイミングの為、上司が診察に同行。超緊張。前日は死にそうだった(笑)

 先生からは、「まず休日の過ごし方が毎日出来るようになるのを目指すこと」と言われる。

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8月:甲子園を見入る。

7~8月=休職に入って2~3か月くらい経ったくらいから、好きなことが割と楽しめるようになりました。

活字も安定して追えるようになったのはこのくらいだったかな。

軽い筋トレなんかも出来るようになったのがこの頃。

 

 

9月:愛犬の状態が悪く、その世話をすることも多く、心身ともに不調な日が続く。

9月下旬:愛犬逝去。上向きだった状態に、ペットロスがのしかかる。

 

10月:自分と向き合うようになる。自分のネガティブ思考と向きあったり、自己肯定感の向上を考えたり。

・起床時間を少しずつ揃えだす。9時くらいに起きるように。失敗しても落ち込まないことを心掛ける。

・日中なるべく外出を心掛ける。電車練習と散歩とサイクリング。

・元々、日課だった筋トレも普通にできるようになる。

 

 

10月中旬:「順調に来ている」と診察で言われる。「このまま順調にいけば、年明けくらいにはリハビリ勤務なり、会社に戻れる」と言われる。

 

 

11月:診察で3つの訓練をするように言われる。

・電車訓練(通勤訓練)

※この頃は、乗り換えに苦しんでいました。乗換口の光景が通勤してた当時のラッシュをフラッシュバックさせていた…。

・体力

・事務的集中力

※何かを調べてまとめる、そんな時間を意識的に作るように言われました。

 

11月終わり:会社の保険相談員さんと、リハビリ勤務などに向けて初面談。嫌いになる(笑)

→次の面談場所を事務所内の会議室に設定されたため、事務所まで電車練習。無事成功。

 

12月初め:診察で、年明けからのリハビリ勤務OKと言われる。

 

12月13日:相談員と上司と3者面談。

パワハラが原因ではないので、リハビリ勤務は元の係で行います」と宣告されて、面談中に号泣。相談員に色々言われる。一気に、休職当初くらいの状態に戻る。

急遽、心療内科の診察。

12月26日:2回目の3者面談。

相談員相手にブチギレる。最初は相手も戦うが、最終的に謝罪をゲット。

しかし、元の係でリハビリ勤務をすることは変わらず。

ただ、上司がなるべく係に座りっぱなしにならないように、リハビリ勤務中の業務を提案してくれる。

 

1月6日:上記の3者と産業医、本社人事を含めて5者面談。成人式明けからのリハビリ勤務開始が決定。

 

 

3月上旬:8週間のリハビリ勤務が終了。晴れて復職。

 

3月中旬:異動内示。病んだ事務所・係からの脱出に成功。

 

 

 

そして、今日、5月15日。

コロナの影響があって、自宅勤務と事務所出勤の日があったりして、なんともではありますが、なんとか新しい事務所・係でフルタイムで働いております。

 

 

私の場合は、事務量過多でもパワハラでもない要因で適応障害になったので、意外とレアケースかもしれません。

したがって、リハビリ勤務中の周囲とのやりとりや、そもそもの回復基調においても、皆さんのご参考となるところが少ないかもしれません。

 

 

ただ、適応障害などで孤独に苦しんでいるあなたも、決して一人じゃないということだけ、それだけは伝わってくれれば幸いです。

 

今は、概ね順調に日々を過ごしていますが、心の隅っこには、「またきっかけ一つで苦しむかもしれない」そんな恐怖が鎮座しています。

 

裏ではまだまだ怯えています。

それはきっとこれからも、ずっと続いていくことでしょう。

 

毎日とはいきませんが、まだまだブログも続きます。

長くなりましたが、ありがとうございました。

 

では。