適応障害で休職→復職中。

適応障害で病気休職から復職中のアラサー男子が日々を綴ります

適応障害の僕が病院から卒業した件

こんにちはーぶてぃー。

柚紗雪です。

 

本日、心療内科の診察に行ってきました。

そして、無事に「終診」、すなわち、定期的な通院から卒業しました。

 

本日の目次はコチラ↓

 

 

 

 

yuzu-sayuki.hatenablog.com

 

 

~繁忙期を乗り越えて~

 

私の業務は、1月後半から3月中旬までが繁忙期。

 

特に、1月最終週と2月1週目の2週間くらいは、心身ともにボロボロになります(笑)

 

前回の診察で、薬なしで繫忙期を乗り越えて、順調であれば卒業、ということになっていました。

 

なので、いつもより気合を入れて臨んでいたのですが…

 

 

となりました。

 

一番の繁忙期に一時的とはいえ、数人抜けるのはマジで死にました。

 

本当に辛かった夜は、お薬に手を出そうともしました。

(こうやって書くと、イケナイクスリみたいですね(笑))

 

でも、

「きっとこれは病院からの卒業試験なんだ…!!」

と思って、飲むことなく、慣れない残業も多少しながらなんとか乗り切りました。

 

 

その結果、だいぶ自信がつきました。

 

 

~「あの日」をえぐる~

 

そんな話を先生にしたところ、

 

「薬に頼らずに乗り切って自信がついたのはとても良いこと。

 

正直、今日で終診でも良いと思う。

 

だから、今一度考えてみよう。

 

なんでこうなったんだと思う?」

 

と。

 

正直、今となっては「あの日」を思い出すことも辛くありません。

 

 

あのクレーム、あの日を先生と話ながらまとめると…

 

答えの一つは少年期にありました。

 

まず、あの日のこととクレームについてまとめ。

 

・ただ怒鳴ってくるようなクレームよりも、屁理屈の理詰めクレームが苦手。

 

・あの日は、お昼休み中で周囲に人が少なかった。

 

・知っていた内容に関するものなので、「一人でいける!」とかっこつけてしまった。

 

 

じゃあ、なんで理詰めのクレームが苦手なんだろう?

 

…!

柚は思いました。

 

「親父と野球だ!」

 

わたくし、小中と野球をやっておりました。

 

特に、小学校の時のチームは割と強くて、区の中では上位で、都大会に手が届きそうな感じ。

そこで、セカンドのレギュラーだったのですが、親父が怖かった。

 

親父も昔野球をやっていて、そしてめっちゃ上手い。

セミプロとかそういうレベルではないですが、当時の自分からするとめっちゃ上手い。今振り返っても自分の全盛期より、父になっていた親父のほうがうまいw)

 

故に、試合後は毎度反省の時間でした。

 

エラーしたり、三振したりすると、「なにやってんだ!」って怒られるわけではないんです。

 

例えば、打球を捕れずにエラーしたとしましょう。

 

「なんで捕れなかったの?」

「守ってる位置が悪かったの?グローブの出し方が悪かったの?追い方が悪かったの?反応が遅れたの?」

「反応が遅れたならなぜ遅れたの?」

 

社会人の今なら分かりますよ、この問答をちゃんとやれば上手くなるでしょう。

実際、今の心療内科の診察でもやってますね(笑)

 

でもね、小5小6の自分にはとてもきつかった。

 

だから、野球は親父が見に来る試合よりも、練習が好きだった。

 

 

長くなりました。

 

でも、根源には上記のことがあったのです、たぶん。

 

 

~未来へ~

・対処法は、抱え込まない、早めに周囲を巻き込む。

 

・自分の「辛くなるかも…」の前兆がだいぶ掴めるようになった。

→その後、休む方が良いのか、アクティブに動いちゃった方が良いのかもだいぶわかるようになった。

 

・根源のトラウマとは今後の人生でも付き合っていくことになる。

 

・本当に辛い日が来たら、薬を飲んで乗り切っちゃっても良い(by先生)。

 

ということで、私の3年10か月に及んだ、心療内科への通院は終了しました。

 

 

ブログの次の記事を書くことはあるのかな…

Twitterは細々と続けます。

 

 

では。