この世はカレーfrom仏教
こんにちはーぶてぃー。
柚紗雪です。
最近、笑い飯の哲夫さんが書いた仏教の本を読んでいます。調子の良い時に(笑)
そこからの話。
本日の目次はコチラ↓
~苦しみからの解放~
カレーの話は途中に出てくるのでそこまでの話を簡単に。
仏教といえば、開祖はブッダです。
ブッダさんは苦しみからの解放を目指したそうです。
そして、色々巡り巡って、苦しみの原因は「煩悩」だと分かったのだそうです。
108つあるやつですね。
欲しいと思うから、それを手にしていない状態は苦しい。
食べたいと思うから、食べられないと苦しい。
望まないと手に入らない
そんな考えも私は好きですがね。
そして、なぜ煩悩が生まれるのか?
といえば、自分にこだわることが原因だと分かったそうな。
(文末を~そうな。にすると日本昔ばなし感が出ますねw)
あれを美味しいと自分が感じるから、その快感を感じたいから、食べたい。
食べたいのに食べられないから苦しい。
そういうことなんでしょう。
~この世はカレー~
「諸行無常」とは仏教の言葉。
仏教では、この世には実体のあるものはなく、つまりそれ個体として本当に存在するものなどない、というのが基本の概念となります。
「ブッダも笑う仏教のはなし」 p.70より引用
なんだそうです。
もし、本当に実体として存在するのならば、その物はそのままの状態を永遠に保つはずだ。木は枯れないし人は死なない。
そういう考えなんだそうな。
そんな、すべてのものが移ろいゆくことを「諸行無常」と言い表したんですね。
というわけで、
この世はカレーです。
カレーライスではなくて、大きな鍋に入っているカレールーの方。
そこに、ライスによそおうと、色んなおたまがカレーを掬います。
すると、それぞれおたまに掬ったカレーが溜まります。
その溜まったカレーが、この世の各々の個体。
私だったり、クモだったり、哲夫さんだったり。
そして、このおたまには小さい穴が空いていて、掬ったカレーもやがて鍋に戻っていく。
すると、おたまから鍋に戻ったカレーは、元々鍋に入っていたカレーと一緒になりまた、この世を形成する全であるカレーに戻る。
この世に個体として居られるのなんて、おたまの穴から落ちるまでの一瞬で、結局みんな一緒。
おたまにカレーが無くなれば、また掬う。
そうすると、さっきまで柚紗雪を形成していたカレーと哲夫さんを形成していたカレーと、他の色んなものを形成していたカレーが、その一つのおたまに掬い上げられて、また違う”何か”を形成する。
そんなことが繰り返されているこの世界。
~俺もお前もバーモント~
そう、つまりは私もあなたもあいつも元をただせば同じカレー。
戸田恵梨香もガッキーも柚紗雪も同じカレー。
つまりは!!!!
※柚紗雪は戸田恵梨香が大好きです。戸田恵梨香の連載等を見るために、高校時代セブンティーンをよく読んでいました(笑)
話を戻します。
今週、職場でひとりでに辛くなった時は、
あいつも俺もカレー。この世はカレーだ。
と言い聞かせるとスッと落ち着いたりして。
なんか係長、俺に気持ち、当たり強くないか?
なんて思っても、
「まぁしょうがないよね。望んでもないのに休職明けの奴つかまされて、挙句の果てに『調子悪くて多めにお休みを…』なんて言い出すんだからさ」
とセンチメンタルに納得させても、
「まぁこの世はカレーだし、そこに考えを巡らせるのも馬鹿らしいな」
と華麗に脳内スイッチを切り替えるわけですね(爆)
とかく、真面目に考えすぎて、頑張って、裏読みして先回りして摩耗して…
そんな我々に仏教を噛み砕きまくった「カレー理論」も一筋の光となる可能性もあるわけです。
では。
戸田恵梨香とカレー食べたい。