適応障害で休職→復職中。

適応障害で病気休職から復職中のアラサー男子が日々を綴ります

勉強と優等生の僕~小学生編~

おはようーろんてぃー。

柚紗雪です。

 

「勉強しなさい」と言われたことはありますか?

私はありませんが、点数が悪いと…(笑)

 

本日の目次はコチラ↓

 

 

 

yuzu-sayuki.hatenablog.com

 

~右脳を耕せ!!~

私の家庭、父が金融関係だったので、バブルの残り香溢れる、幼少期までは結構裕福な家庭でした。

 

なので、「右脳開発教育」の幼児教室に通っていたり、

4歳くらいから英会話教室に通っていたり、お金をかけてもらいました(笑)

 

まぁこの2つはかなり役立ったんですけどね。

 

英語は小6か中1くらいまで習ってました。

話せるようにはなりませんでしたが、中学・高校の「勉強」の英語に対しては超役立ちました。

 

私の父は、いわゆる地頭はかなり良いのですが、素行不良すぎて高校中退(笑)

母は、短大卒。

 

そんな家庭。

一貫して母からは、勉強については何も言われたことはありません。

「私が勉強できなかったのに子供に押し付けられない」

そんなことを言っておりました。

 

父は違いましたね。

普通の会話をしている時に急に算数の問題を出してくる父でした(笑)

 

でも「勉強しろ」は言われたことはないです。

悪い点を取ると「なんで勉強しなかったの?」

ってなる感じ。

 

お陰様で、小学校当初から

私は、いわゆる「勉強のできる」子でした。

 

 

~95点のテスト~

ところで、みなさんは95点のテストを隠したことはあるでしょうか。

 

 

 

 

私はいっぱいあります(笑)

 

小学校のテストって、私の時代は謎のカラー印刷のテストでした。

裏面は何か変わった問題が書いてあるやつ。

 

まぁテストが返されれば親に見せるのですが、

 

100点じゃないと父からの諫言が始まります。

怒られる・怒鳴られる訳ではないのです。

 

「なぜ、間違ったのか」

単純に覚えていないのか、計算ミスなのか、ケアレスミスなのか…

 

論理的に詰められるのです(笑)

怖かった…w

 

怒鳴られるより論理的に詰められるほうが辛いです。

思えば、私の苦手なクレーマータイプのもそういう人。

ここから来てるのか…(笑)

 

そんな小学生の私は、90点や95点のテスト、つまり100点じゃないテストを父に見せないようにしていました。

しかし、無駄に頭の回る私、たまにちゃんと見せていました。

 

子供なりに、「全く見せずに、常に100点というのは怪しい」と思ったのでしょう。

 

~野球~

実はスポーツも出来た私。

足も速かったです。

 

勉強が出来て、スポーツも出来て、足も速い…

 

 

 

 

そう、私のモテ期は小学生でした。

 

カムバック、モテ期!!

 

小学校2年生から、小学校のサッカーチームに入っていました。

○○FCってやつです。

 

しかし、サッカーはあまり上手くなかった私。

一応レギュラーでしたが、向いてなかった…。

 

そして、小3の夏から野球チームに入ります。

学校のではなくて、地域のやつ。

 

これはガチでやりました。

消える土日。

土曜日は丸一日練習、日曜試合。

 

両親と妹、というか家族全員に多大なる迷惑をかけたと思います。

色んな当番がありますからね…。

 

やりながらも、強く感じておりました。

 

そして、ここでも父のスパルタ的なものが始まります。

 

昔野球をやっていた父。

実際、私が中1くらいまでは、父のほうが圧倒的に上手かった気がします(笑)

 

試合で、何かミスると反省会が始まります。

ほぼ全試合見に来ていた父。

試合中、ずっと怖かった(笑)

緊張しっぱなしでしたね。

 

守備の時は

「ボール飛んでくるな!!!!」とマジで思っていました。

 

飛んできて、エラーでもしようものなら、終了です。

半泣きですよ(笑)

 

チームの勝ち負けよりも、父に怒られるか否かの優先順位が遥かに上でした。

 

まぁ、プラスに捉えれば、ただ怒鳴る、ただ怒るということは一切されなかったので良かったのかもしれません。

しかし、

小学生の子供が論理的に詰められるというのも辛いものがあります。

 

なんであの打球が取れなかった?

上手く正面に入れなくて…

なんで正面に入れなかったんだ!?

以下ループ。

 

僕は野球は大好きですが、試合は嫌いでした(笑)

 

~小学校での私~

小学校に戻りますが、自分で言うのもなんですが超優等生でした(笑)

しかもちょっと冷めてる…。

 

3年生か4年生の時、当時の担任の先生に、

「あなたはさっさと大人の世界に行ったほうが良い」

そんなニュアンスのことを言われました。

達観・諦観した感じがあったらしいです。

 

確かに、無邪気な子供ではなかったですね。

そらそうです。

家で論理的な説明と次への対策を述べることを求められていたのですから(笑)

 

でも優等生でしたよ。食べ物の好き嫌いが異常に多い以外は。

 

先生にも好かれていたと思います。

問題児の介護的なこともさせられましたし。

 

というより、先生に好かれるように過ごしていました。

 

なぜなら、わざわざ先生に嫌われるような行動をとる理由が分からなかったからです。

 

問題なく、学校という社会を生き抜くには先生に好かれるのが楽です。

わざわざ嫌われて生きにくくする必要はない、そう思います。

 

思えば、反抗期みたいなものも一切無かったですね。

反抗するのも馬鹿らしいと思ってましたし、父はマジで怖かったので。

 

まぁ先生にも恵まれましたけどね。

 

かといって、ガチガチに校則を守るようなクソマジメではない。

 

そんな人間を演じていました。

 

ふと、私の過去を振り返った小学生編(笑)

 

せっかくなので、中学も書きます。自己満足です(笑)

では。