不安を感じる時点でもう踏み出している~適応障害の僕と哲学~
こんにちはーぶてぃー。
柚紗雪です。
ちょっと哲学的な話。
サルトルの言葉から。
目次はコチラ↓
~サルトルの言葉~
不安はわれわれを行動からへだてるカーテンではなく、
行動そのものの一部なのである。
この解説はもうちょっと後で。
~ネガティブ思考な私~
私、ネガティブ思考で後ろ向きで懐古主義な人間でして(笑)
ただ、別に悪いとは思っていないんです。
もう諦めてるんです。こういう人間だと。
それで、待ち構える未来に対して、
勝手に色々考えて不安要素を見つけ出しては気分が落ちていくという性分でして…。
不安要素ばっかり思い浮かぶんですよね(笑)
例えば、来週大事な発表・プレゼンがあったとすると
凄い質問来ちゃったらどうしよう…
実は全く的外れなこと言ってたらどうしよう…
めっちゃ怒られるのでは…
あの人怖いからなぁ…etc
と考えては落ち込んで吐きそうになるわけです(笑)
部活をやってた時は大事な試合前とかそんな感じでしたねw
~不安はすでに行動の一部である~
環境が変わったり、新しいことに踏み出したり…
そんな時、程度は違えど誰しも不安を抱くものです。
でもそれは、
すでに行動の一部であって、
恐がるものでも、立ちふさがるものでもない。
何かに不安を感じているということは、
あなたはその何かに対してもうすでに一歩踏み出しているということ。
実は、
不安こそがスタート。
安心して前へ。
進んで辛かったらそこで休みましょう。
~とは言うものの…~
と書いたものの、そう上手くはいかないんですよね(笑)
でも私、「緊張」に関してはこれと全く同じ心持でいます。
むしろ、緊張するのが正解なんだ!!
という風にいつからか思えることが増えました。
だから、
不安に怯えるのではなくて、
不安を感じるのが正解で当たり前なんだ。
そういうことなのかもしれません。
ちょっと短いですが、では。
※最後にこの記事の執筆中、僕の脳内に流れていた音楽を添えて…。