生きるとは
生きるってのは、自分以外の死を乗り越えていくことだから。
と、母は私に言いました。
真面目な始まり方をしましたが、このうだるような暑さの中、小難しいブログを長ったらしく書くつもりはありません。
軽く軽く。
以前、こんな記事を書きましたが、私は幸いにも適応障害で一番辛かった時にも「死にたい」と思ったことは一度もありませんでした。
なんか、パッと消えたい…と思ったことはあったけどね。
近年、生きるということ、死ぬということに対してみんな両極端に考えすぎな気がしています。
やたらと軽々しく扱ったりする一方で、こねくり回しすぎな面もあるというか。
別にぞんざいに軽く扱えなんて言っているわけではないんです。
死ねばその人の人生が終わる訳ですから、ちゃんと考えるに越したことはないんです。
でも、もっと軽く考えても良いと思うんです、全員が。
難しいですね。
軽々しく扱って、簡単に自殺したり、簡単に生き物や人間を殺したりするのは全くもって許せません。
でも、こねくり回して考えすぎても、永遠の迷宮に陥って逆にそれで死にたくなってしまうこともあるでしょう。
ええかっこして考え方を持ち出すならば、仏教的ではありますが、「中道」が良いんです。
考えなさすぎも考えすぎも良くないんです。
ちょうど間がちょうど良いんです。
僕はいっとき、
「生きててこの先超楽しいことがあるか分からないけど、死ぬのも面倒くさいから生きるか。」
そんなことを思っていました。
周りの人、ペット、その他生きとし生けるものを見てください。
いつか死ぬんですよね。
この超不公平で超不平等な世界においてただ一つみんな同じことは、「いつか死ぬ」ということだけです。
そう思うと、
生きるってのは、他の人の死を乗り越えて、自分の死を他の人に乗り越えさせる。
過去から未来へバトンをつなぐことなのかもしれません。
偉大なる先人たちが遺してくれた、何かを繋いでいくことなのかもしれませんね。
では。