適応障害の翌日の話
おはようございます。
ここまで、私の精神がパーンってなって、適応障害と診断されるまでの話を書いてきました。
その辺の話はコチラ↓
今日からは診断されたあとの心の動きとか過ごし方を書いていこうと思います。
今日はこんな感じ。
当時の状況
この日から、いわば正式にお休みになりました。でも、さて何をしようかということなんですが、正直何もできないんですね。当時の状況は
・今まで毎日やってた趣味のゲームのやる気すら起きない
・物忘れがひどい
・頭痛、吐き気、微熱みたいなダルさ
・えげつない職場への罪悪感
・家にいる罪悪感
・一人で考えすぎるとすぐ涙があふれる→過呼吸
・字が上手く書けない。字が思い出せない。
・明るい光が怖い。人混みが怖い。
・一方、嫌なことから離れた爽快感
こんな感じでしょうか。というのも水曜日に診断されて以降、数日間の記憶はかなり曖昧です。もしかしたら、体が忘れようとしているのかもしれません。
心がけようと思ったこと
・なるべく仕事のことを忘れようとする
→そのために、自分の好きなことで周りを溢れさせる。
・あまり夜更かし&寝坊しない。
働いていたときは、0時就寝の6時40分起きくらいでしたが、2時までには寝る、9時半には起きるように心がけました。
・なるべく外出する。太陽を浴びる。
・一人で考え込む時間をなるべく少ないようにする
・家にいるので、代わりとして何らかの家事を受け持つ
→掃除をすることにしました。
この、「仕事の忘れようとする」は本当は良くないのかもしれません。結局は単なる「逃げ」であり「退避」でしかないですからね。
でも、少なくとも初期状態はそうして良いと思います。
個人的には、向き合う勇気も大事だけど、思い切って逃げる勇気だって大事だと思います。
なので、僕はPCとかで好きな音楽をずーっとかけて、PS4のYouTubeで大好きなお笑いの動画をずーっと流してました。
まぁ、部屋の中はうるさいというかノイズですよね(笑)。でも、自分の好きな音だったので心地よかったというか、逃げるにはちょうど良かったんです。
翌日
翌日はあまり覚えてませんが、なんか割と元気だった気がします。
それは、実家にいる安心感と、上記の嫌なことから離れた爽快感だったように思います。
その日が木曜だったので、まだ何となく4連休の始まりくらいの気持ちだったかなと思います。
それでも、大好きで物心ついた4,5歳からやってきたゲームには手を出す気になれませんでした。
ただ、夕方から散歩に出かけることにしました。
幸いなことに私の実家から、チャリで10分ちょい、徒歩で20分ちょっとくらいで多摩川の河川敷に着くんですね。
で、元々疲れた時にチャリとか徒歩で公園や河川敷に森林浴というか行くのが好きだったので、その多摩川の河川敷までお散歩することにしました。
もちろん好きな音楽をイヤホンで聞きながら。夕方の西日を浴びながら散歩して、河川敷のベンチで少しぼーっとしながら。
ちょっと汗も書いて良い感じだったと思います。
~まとめ~
・嫌いな職場のことを忘れようとするのは、少なくとも初期状態では悪くないことだと思う。まともなメンタルを思い出すことのほうが大事。
・家とかその他で元気でも気にしない。
・自分の嫌な記憶を人為的に頭から押し出そうとしても無理。余計考えてしまうから。だから、好きなことを嫌というほど溢れさせて無理やり嫌な記憶や考えを押し出す。
※あくまでこれは私、柚紗雪個人の考えに基づきます。
適応障害の方、涙が溢れるのは私も一緒です。感情が渦巻いて止まらなくなってコントロール不能になって泣いちゃいますよね。泣きましょう。