「普通」とは「普通」よりちょっと上のことで、あなたの「普通」は私の「普通」じゃない。
こんにちはーぶてぃー。
柚紗雪です。
久々に復職訓練日記ではない記事を書きます。
復職訓練に入ってからは、1日1日が割と必死で、前のようにメンタル的な、適応障害の休職の話をなかなか書けなくて…。
本日の目次はコチラ↓
~普通~
Mr.考えすぎ人間コンテスト東京都3位の私は、何でも考えすぎるのです。
もちろん、
「考えるより先に行動!!」という時もありますが、少数も少数です。
よく言いますよね、
「普通に生きてきたら○○くらいあるでしょ?」
「普通これくらい知ってるでしょ?」
「普通これくらい出来るでしょ?」
普通とは何なのか。
偏差値50なのか。
顔面偏差値50は普通の顔なのか。
普通の顔ってなんなのか。
平均点なのか。
平均って普通なの?
よく分からなくなりますね(笑)
~相対的な普通~
「こないだ会った女の子可愛かった?」
「うん、まぁ普通よりちょい上くらいかな(笑)」
よくある、ボーダー的な意味での普通。
中央値的な意味での普通。
偏差値50的な普通。
こういう時よく思うんですけど、
「普通」って本当の「普通」よりちょい上感あるよね。
仮に偏差値50が本当の普通とするならば、
世間で言う普通は、偏差値55くらいのことを言っているイメージがあります。
~主観的普通~
「普通これくらい出来るでしょ!?」
という悪魔の文脈でよく使われる「普通」がこれ。
まぁ、私はメンタル弱いことを除けば超絶有能人間なので(大嘘)、こんなこと言われることはないのですが(笑)
「普通に生きてきたら…したことくらいあるでしょ?(笑)」
というのは言われることが、見聞きすることがあります。
あなたの「普通」は私の「普通」じゃない
のです。
『常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことをいう』
とはアインシュタインの言葉ですが、
まさにこの通りで。
誰かにとっての「普通」は、また誰かにとっての「異常」でもあるのです。
人間というのは、「異常」に関する察知能力・回避能力・排除性が高い。
そらそうで、太古の時代、生き残るには大事な要素だったのでしょう。
耳障りの良い「普通」を共有して共感して、「異常」を排除していく。
そんなこともあるかと思います。
~普通の日々~
普通の日々ってなんなんでしょう。
学生時代は、運動も勉強もそこそこに出来て運動部に入ってたりする。
中高生くらいで初めての恋人が出来て、デートを楽しむ。
受験勉強も普通に始めて、塾にも通ってそれなりの高校大学に進む。
大学生になったら、サークルや部活に入って、アルバイトをして…
授業をサボってみたり、
オールして騒いだり、
とりあえずお酒を飲んだり、
合宿やらなんやらで旅行に多く出かけたり、
友人や先輩後輩と協力してテストは乗り切って進級して…
3年生になったら、急に黒スーツを着て就活をして、
面接では、バイトのこと・サークルのこと・ゼミのことをある程度の嘘を交えながら良い感じに話して、
何社から内定を貰って、入社して。
”普通”に働いて、
夜や週末はしっかり遊んで、
学生時代の友達との縁も繋がってたりして、
行きつけのお店やバーを開拓して、
社会人サークルや合コンなんかも楽しんで、
そこそこの年齢で結婚して、
子供をもうけて…
要領がよくて、
仕事も恋愛も学業も運動も”普通”に出来る人のことを、
世間では「普通の人」と呼んでるんでしょう。
個人的に業務上のマルチタスクは得意で好きなのですが、人生のマルチタスクは苦手です。(笑)
不器用な男なのです(笑)
勉強と恋愛は両立できなかったしw
そして、適応障害になりましたが、
そんなことより前に、なかなか「異常」な家庭環境の中で青春時代を過ごしてきていて、「普通」からはなかなか逸脱した日々を送ってきたかもしれません(笑)
あいつらは、なんでそんな簡単に頻繁にポンポン旅行に行く金があるんだろう…
あれ?普通に経験すべき事柄の経験値が異常に少ないぞ…?
私はこれから、自分の「普通」を大事にしつつ、
かといって人に押し付けることなく、
「普通」の幸せに向かって、足りないものを埋めるべく生きていこうと思います。
では。